東京高等裁判所 昭和32年(ネ)2128号 判決
よつて右解約の申入が正当の事由にもとずくものであるかどうかについて審按する。
証拠を総合するときは次の事実を認めることができる。
一、本件建物はもと川崎汽船株式会社の所有で訴外安曾金次郎がこれを管理し被控訴人は昭和二十一年頃以降これに賃借居住し、二階には右川崎汽船の関係者笠原某が入居していたものであるが、昭和二十四年頃控訴人の親戚でその面倒をみていた訴外斎藤政市の家族が控訴人の知合の世話で右笠原の立退いた二階を川崎汽船から賃借してこれに居住するに至つた。ところが川崎汽船では前々から新潟支店を他に移転することになつていたので右家屋の売却処分方を依頼せられた安曾金次郎は明渡等の問題が生じないよう先ず被控訴人との間で家屋売買の折衝をしたが、値段の点で折合わず、一方川崎汽船の方からは早急処分方の督促もあつたので被控訴人に対しその旨を告げ諒解を求めたところ、被控訴人としては他に処分されても已むを得ないが、明渡については今直ぐというわけにはゆかないにしても半年位の余裕があれば立退くこともできるだろうといつて格別異存のある態度を示さなかつたので、その後遇々売却交渉のあつた控訴人に対し右の次第を告げて代金二十七万円で売渡したという経過を辿つてきたのであるが、被控訴人としても本件家屋を従来から営業の場所として使用しているわけでないが、数名の家族を擁してここに居住し意の如く移転先が見付からず、その間控訴人から提供された移転先も気に入らず控訴人の解約申入を拒否して今日に至つたものである。
二、飜つて控訴人が本件解約申入の主たる理由とする建物の現状について検討するに本件建物は約三十年前の建築にかかり(右の事実は当事者間に争がない)外観上はさして腐朽しているように見えないけれども仔細に検すれば、(1)外廻り基礎石(一部木杭)及び床下束石は砂岩質で風化激しく崩壊しつつあり、耐力が甚しく低下しており且つ不同沈下が認められる。殊に北側五間は布石にそうて排水溝(石積)があり、この部分は汚水その他によつて風化作用を受け変質し基礎の弛緩を来たし、入居者たる被控訴人において特に甚しい約一間半の間に四ケ所玉石の上にコンクリートブロツク(厚八寸巾八寸長一尺)を据え栗木杭を以て応急措置をしているが、これらの施設のみでは基礎の弱化は免れない。(2)土台及び柱の根元を釘打込み耐力検査の結果部分的に甚しく腐朽せるものがあり全体的に耐力が低下しており、(3)そのため建築物は総体に北または北東の方向に傾斜し、(4)建築物傾斜による内壁剥落、亀裂等が随処に見受けられ、また柱と壁との取合部分にすき間が認められ、(5)二階廊下が一部傾斜しているが軸部の傾斜及び根太はずれによるものと考えられる。そして本件建物は建築後約三十年の間見るべき大修繕をしたこともなく土台石の風化や耐力の低下と相俟ち、殊に建物の構造上平面計画が一階と二階との間仕切にくい違いがあり、上部構造に比して下部は華奢であるため、測らざる地震風雪等の外力に対して耐久力薄弱であり、前示腐損箇所は部分的な姑息な修繕では不測の天災地変の場合は極めて危険であつて、その維持保全のためには今直ちに基礎、軸組、外壁、床等改築にも等しい大修繕をすることが必要であると共にかような大修理をしなければ早晩朽廃を免れない状態にあること、並びに右必要とする最少限度の大修理の内容は在来基礎を布コンクリート基礎に改造、束石据付直し、建物傾斜不陸を直し、土台柱その他腐朽折損箇所取替、壁体に筋違を入れ、また土台掲げに伴い壁塗替、屋根瓦葺替その他の補修工事で、その費用見積り額は計約三十数万円、工事日程約九十日を要するものと推定せられる。(尤も右は昭和三十三年三月当時の鑑定による見積り額であるが、家屋の状態は本件解約申入期間経過当時のそれと特に異なる事情も認められず、ただ見積り費用の点については材料費労賃等の値上り等を考慮に入れれば多少の差あることは考えられるがそれとて格段のちがいあるものとも認められない)
そこで叙上認定の事実に鑑み賃貸人賃借人の双方につき存する諸般の事情を比較考量して解約申入の当否につき考えてみる。凡そ建物の賃貸人は賃貸物の使用及び収益に必要な修繕義務を負い、賃貸人が賃貸物の保存に必要な行為をなさんとするときは賃借人はこれを拒むことができないのであるから、(民法第六百六条二項)賃貸借の継続を前提として賃貸人は賃借人の意に反してでも賃貸物の保存に必要な修繕行為をすることはできるけれども、このことから直ちに大修理等によつて建物の命数が続く限りその維持保存のため必要とする修理補修の規模、費用の程度如何にかかわらず常に賃貸借関係を存続せしめてその修繕義務を負うものと解することはできない。本件の場合賃貸建物の現状はさきに説示したとおり使用に堪えない程朽廃しているわけではないが、(建物の効用を失うに至ればこれによつて賃貸借は解約申入を俟つまでもなく当然終了することになる)一応木造建物としての耐用命数に達しておるものと認められ、今にして大修理をしなければ早晩朽廃を免れず殊に不測の天災地変の場合には当然倒壊の危険が予想される状態にあり、しかもこれが補修には前叙のように解体改築にも比すべき施工と費用を伴う程度の大修理を要し、治安防火等公益上の点からも放置するを得ない状態にあるというのであるから、この場合にも賃貸人が賃貸借関係の廃罷を要求することが許されず、常に賃貸借の存続を前提としてその補修義務を負うと解することは酷に失すると共に、一定の使用命数があつて早晩朽廃を免れない木造建物の賃借人としては、本来その朽廃と共に賃借権消滅の運命を担つている者であり、既に使用命数がきて早晩腐朽を免れないのを蘇生させるための大修理または改築してまで賃貸借を継続することを賃貸人に請求する権利を有するものと解すべき根拠に乏しい。のみならず賃貸借の実体は経済関係であるから賃貸借の存在を前提とする賃貸人の修繕義務の限界についても賃料(本件においては僅かに月額六百円)その他の経済的な相対関係からも考慮せらるべきであつて、たとい借家法第七条や地代家賃統制令第七条によつて賃料増額の途はあるにしても、それも程度の問題であつて、このことは本件の場合前示解釈の妨げとなるものでない。
これを要するに前示事由の下になした控訴人の本件解約の申入は首肯すべき相当の理由があり、これに対し被控訴人の側に存する前示認定の諸般の事情を考慮するときは結局正当の事由あるものと判定する外はない。
(坂本 奥野 小沢)